みんなで守ろう!地域の安全
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「安全・安心」が、今日ほど声高に叫ばれたことはない。これは時代の急激な変化と先行き不透明な情勢に、市民の生活の基盤、とりわけ「安全・安心」が「危険」と「不安」に翻弄されていることを物語っている。因みに、YAHOOで「安全」を検索すると18億5千万件、「安心」7億1500万件ヒット、「不安」2億8900万件、「危険」1億8500万件であり、いかに「安全・安心」が、現代社会の最優先の国民的課題となっているかを示している。
しかも、不安感を生み出す背景には、犯罪領域のみならず、食、住、年金、医療のほか、教育現場、政治変革・縦割り行政など、これまで我が国の社会安全システムとして機能してきた諸々の領域が広くかかわっており、しかもシステム構造的な疲弊を露呈するものもあり、市民生活の安全・安心基盤そのものを揺るがしている。
特に、防犯分野においては、「安全」問題の客観的な改善(事件総発生数の減少や検挙率の向上)が図られているにもかかわらず、「安心」(体感治安不安感)問題の改善がなされないという珍現象が起きている。
例えば、読売新聞社連続調査「日本人」(2008.3、体感治安不安感調査)に よれば、「自分や家族が何らかの犯罪に巻き込まれ被害者になるかもしれない不安感 を70%の国民が感じており、1998.12前回調査より、+13ポイント増加となっている。また、ここ数年の日本の治安が「悪くなった」と感じている人 が86%(‘95調査~8割台)にのぼった。治安が悪くなった原因として、社会全体のモラルが低下している67% 、学校や家庭での教育に問題がある47%、地域のつながりが薄れている45% を挙げた。
この調査は、われわれが気楽に口にする「安全安心」が、決して一体のものではなく、実は、「安全」問題と「安心」問題の2つの性格を異にする問題であることを鮮明にした。
即ち、事件総発生数の減少や検挙率の向上だけでは、体感治安不安感は良くならない。「安心」問題の解決のためには、むしろ、犯罪や事件事故を生み出す背景 (土壌)そのものの改善が必要不可欠であり、国や自治体の適切な政策とともに、市民ひとり一人(家庭を含む)の努力や、地域コミュニティの自主的な知恵出 し、学校での安全教育など重層的かつ総合的な安全安心対策が必要不可欠となっていることを示している。
近年、「安全・安心」が、現代社会の最優先の国民的課題との情勢を受けて「安全・安心」問題は、国や地方の政治行政の最大関心事・最優先のトップマネージ メントに急浮上した。欧州の政治家やマスコミだったら、「マグニチュードの問題」(地殻変動を起こす地震に譬えた表現)という言葉を使うに違いない。
文部科学省が11月30日発表した「2008年度問題行動調査」(全国小中高校を対象)は、「マグニチュードの問題」が教育現場を直撃していることを象徴 的に物語っている。この調査よれば、児童生徒による暴力行為は、前年度から約13%、7000件増の5万9618件と過去最多を更新、器物損壊を除く暴力 では4件に1件は被害者がけがをして医療機関で治療を受けている。12月1日付読売新聞は「感情を抑制できずにけがを負わせるような」子どもの暴力実態が 明らかになったと報じている。
同記事によると、今回の調査は、文科省が都道府県教委を通じて実施。暴力行為の内訳は小学校6484件、中学校4万2754件、高校1万380件。学年別 でみると、公立の中2(1万5732件)が最も多く、1997年度以降、初めて同中3(1万4748件)を逆転した。低年齢化は識者から指摘されていた が、これを客観的に裏付ける結果が出たわけである。
なお、形態別では、子ども同士の暴力が3万2445件で最多。教師に対する暴力も8120件、病院で治療を受けたケース1万664件に上ったという。また、いじめの件数は、約8万4648件で、最悪だった06年度(約12万5000件)からは3割減という。
感情を抑制できない自己調性能力の低下は深刻である。情動的知性の獲得や自己コントロール能力は、社会的健康人としての基本的資質であるからだ。「情動の 科学的解明と教育等への応用に関する検討会」(H17.1-9、座長 有馬朗人日本科学技術振興財団会長)などの科学的知見を早急に活かしてもらいたいも のである。また、これらの症候群には「読み聞かせ」や「読書」など「こころの教育」(見えない価値)が効果的といわれるが、先の「事業仕分け」では「見え ない価値」は無意味と一蹴されたようだ。
いずれにせよ、近年の世界の経済構造や社会環境条件の変化、日本の政治・経済・社会の急激な変化、地域社会の構造や人々の価値観やライフスタイルの変化、 IT革命後の人間関係の変化などこれまでにない様々な「マグニチュードの問題」(地殻変動)が市民生活の身の回りで日常化し、その副産物である諸々の危険 因子(リスクファクター)が有機的かつ複雑に結合して、諸々の社会病理現象が肥大化しているように思われる。
これまでの「安全」問題中心から、人々の関心が「安心」問題に軸足の変化がみられる背景には、それなりの理由がある。社会病理現象の雲がますます厚くなっ て先が見えないばかりか、人々の生活を「危険」と「不安」に晒し、ある日、突然、「事件・事故」に巻き込まれるのである。
前自民党政権下、例えば、犯罪対策閣僚会議(2008.12.20内閣)は、今後5年間の犯罪対策を決定したが、その背景には「治安不安感を払拭しない限 り治安再生が真になされたとは言い難い」と、「安全」問題にプラスして、「安心」問題への取組みを政治決定したが、民主党政権になってから、ますます市民 生活の「安全・安心」の先行きが混迷を深めている。
新政権には、現下の厳しい情勢への対処は、失業や経済だけではなく、社会病理現象の雲を払い、子供を含む市民生活の基盤、とりわけ「安全・安心」問題こそが「民意」の根幹にあり、「マグニチュードの問題」であることをしっかり認識してもらいたいものである。
歴史を紐解くと安全や安心の知恵は、市民の「不遇の時代」にこそ生活の現場、コミュニティから生まれている。
「みちの安全」の例がある。交通安全の右側左側通行や追い越しに道を譲るルールの原型は、ローマ時代の奴隷が生み出した知恵とのボローニャ大学の研究があ る由である。奴隷がみちの最多利用者であり、通行トラブルが多かったからで、その生活の知恵から安全・安心の原理が生まれたとしても決して不思議ではな い。この交通安全のルールは、後に体系化され国法にまで高められ、今日のわれわれの交通安全の基本となっている。
ここで強調したいのは、交通ルールが先にあったのではなく、現場発の民間の生活の知恵が先に生まれたことだ。ルールを教えるのではなく、この民が生み出した知恵を子どもたちに教えなければならない。
江戸時代の「傘かしげ」の知恵もそうだ。(雨の日、狭い通路で反対側から来た通行人とトラブルなく道を通るには、お互いの傘を傾けて通る知恵が必要で、法律や規則が有る無しにかかわらず、生活現場の知恵がコミュニティの生活安全や安心に繋がっている。
「食の安全」から生まれた知恵もある。場所は産業革命最中の英国である。パン屋から買ったパンに再三砂が混入していたことに紡績工たちが健康の不安を覚 え、遂に、毎日の食事の安全安心を確保するために、有志が自分たちでお金を出し合ってパン工場を作り(自助・相互扶助)、これを仲間に分配する(非営利) という組合原理を考えついた。1844年、英国ロッジデールでのできごとである。28人の紡績工たちにより産声を上げたこの自助・共助安全原理は、後に、 「協同組合」の組織原理として世界に伝播され、今や、9億人が属する世界最大のNGOに発展した。わが国の生協、農協や漁協もこの「自助・相互扶助・非営 利」という組織運営原理を踏襲している。
過般、ある生協で食品偽装事件があったが、その幹部がちょっとでも生協の歴史を勉強していたら、組合員を欺くような事件は断じて起こさなかったであろう。
昨今、中高生の自転車マナーが問題になっているが、交通ルールやマナー問題の根幹にある「互譲精神」とは、法律や罰則があるから守るのではなく、本来、コ ミュニティにおける処世(社会関係の在り方、生活の知恵)のため、人類が長い時間をかけて生み出した英知に由来する安全・安心文化として価値があることに 思いを致し、これを後世に引き継いでいく価値や意義があるから、これを後世の担い手に伝えていく教え方をしてもらいたいものである。
最近の民が生み出した好事例としては、「子供110番の家」がある。名称は違っても趣旨、目的を同じくするものは、全国で185万箇所(警察庁調べ)とされる。また、ネット検索では724万件がヒットした。
事始めは、平成6年の鳥羽市小2生殺害事件がきっかけといわれる。平成8年、岐阜県可児市今渡北小学校PTAが生み出したアイディアで、子供の通学路の安 全のため、通学路に点在する理容院・美容院・コンビニ・ガソリンスタンドなどに安全協力を要請したという。人口1000人当り、大阪13.9 東京9.0 と地域によって、数やその活動内容に差があるが、国の専用のサイト(文科省「子ども見守りナビ」、警察庁「子ども110番の家」など)やホームページ(大 阪府こども110番HP 千代田区子ども110番連絡会など)もあり、今や、地域の重要な安全資源の1つにまで成長した。
子供たちは、「子供110番の家」の存在を知っているか?など課題は多い。しかし、子供と地域の大人との信頼関係の構築や、「子供110番の家」訪問 ウォークラリー、シールラリー、スタンプラリー、発見ラリーなどの遊びを通じての安全な場所の確認、「子供110番の家」に対する感謝の手紙や花の苗手渡 し運動など、ちょっとした工夫で、地域の子供の安全安心の質的向上を図ることができる。
可児市のPTA(民)が生み出した「子供110番の家」(安全安心の財産)を、これまでの人類が生み出した他の安全安心の知恵に、是非、加えていかなければならないと思う。
哲学者ニーチェは、「人間は、深淵にかけられた1本の綱であり、渡るも危険、途上にあるも危険、身ぶるいして止まるも危険」との名言を残したが、これまで の「安全」対策とは、綱を渡る際の危険予知や安全教育、あるいは綱を丈夫にすることなど(リスクマネージメント)と、落ちた際の被害最小を図るセーフティ ネット(クライシスマネージメント)がその中心課題であった。
しかし、今後の政治行政課題は、落ちるかもしれない不安感への手当て、落ちた後の「こ
ころ」のケアーなど、「安心」対策がQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の基軸問題として強く認識され、「生活安全・安心充足感」が新時代の重要課題となったのである。
つまり、これまでの「安全対策の一層の充実+新たな安心対策の構築」が、新時代の要請となったのである。
近代、政治家として「安心」問題に気付き、これを次世代の政治課題として最初にとりあげたのは、カーター大統領の特別補佐官ブレジンスキーであろう。彼は 「これからの時代の国民の真の生活の豊かさとは、GNPというマクロ指標ではなく、より市民生活に密着した国民生活充足感(グロス・ナショナル・サティス ファクションGNS)であるとして、自殺者の多い国はGNPが高くても「貧しい国」だと喝破した。
「安心」も「自殺」も、これまで個人レベルの問題であって国政や社会的レベルの問題ではないとされてきたが、これらを社会問題として正面から取り上げることが新時代の要請となった。われわれは、「安心」時代を先取りしていたブレジンスキーの慧眼に敬意を表しなければならない。
「安全・安心」問題を、防犯との関連で突き詰めていくと、「被害の未然防止」(予防安全対策)と「体感治安の改善」(安心対策)という2つの困難な問題に逢着する。
被害の未然防止(予防安全)対策とは、痛い目に遭いたくないというものであり、体感治安の改善(安心)対策とは、身近な犯罪や犯罪不安、生活道路の交通事 故、子どもに対する声かけ事案など、生活圏での事件事故との遭遇、危険や不安を軽減して欲しい、迷惑行為を何とかして欲しいというものである。
確かに、この2つの命題に対しては、近年、警察はじめ関係機関の大変な努力の下に、被害の未然防止法理の下、新しい対策が次々と打ち出されていることは高 く評価できる。ただ、体感治安や予防安全の2つの領域は、事件事故(結果)に至る前段階の諸々の危険因子(原因)、これを容認する土壌、事件事故に至るま でチェックや予防ができないプロセス管理の不味さなど、諸々の要因が複合的かつ有機的に絡み合っていることが多い。
国民の「ささやかな願い」を叶えるためには、これら背景となる危険因子(リスクファクター)等の要因分析と体感治安や予防安全の発生現場であるコミュニ ティを含めた組織横断的な対応が論理必然的に求められており、これまでの縦割りの行政の区区の仕切りでは処理しきれないことが多いのも事実である。
筆者は、かねがね、この2つの命題を満足させるには、自助安全活力(本人・家族)、近隣共助安全活力(コミュニティ)、公助安全活力(警察や行政)の3つの力と知恵が、問題や状況に応じて上手く結合されなければならないと提唱してきた。
考えてみれば、名医とは、①見立てや手術が上手かった(薬や医療技術の優位性による
「安全」機能)と同時に、②患者の病気の不安に対する「こころの手当」も上手かった(治療の見通しの説明の仕方や患者の立場に立った指導など患者との信頼関係に基づく「安心」機能)。この両方を患者に応じて使いこなせるのが名医である。
では、発病前(事件事故発生前)の予防段階の名医とは誰か?医者や警察・消防の
出番の前に、コミュニティレベルで誰がどのように役割を分担するのか、これが、予防安全問題や体感治安の本質である。