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第8回
義家 弘介

防犯という名の道の始まり

2009年06月12日

大学生や青少年の大麻をはじめとした薬物乱用事件が頻発している。

テレビのインタビューでは若者たちが、「クラブとかに行けば売人から簡単に売ってもらえる」「街頭で外国人が売っている」「大麻は結構、ある場所に行けば自生しているよ」「中学生の間でも取引されている」などと悪びれる様子もなく語っているが、果たしてそんなに簡単に非合法薬物を入手できるのだろうか?

「真夜中にクラブに出入りしている若者はごく一部だ」「街頭の取り締まりが強化されている中で、公然と売り買いができるだろうか?」「自生しているといっても、場所を知っているのは限られた人間であり、一般化すべきではない」「中学生は大袈裟ではないか?」等々の意見もあるだろう。

しかし、多くの問題を抱える青少年と日々接している私の実感は、容認しがたいことだが『YES』だ。

実感のわかない方は、試しにお手持ちの携帯電話のインターネット検索サイトで『大麻 種 販売』と入力してみて頂きたい。二百件以上のサイトがそこに存在するのがお分かりになるだろう。さらに『元気のいい種だけを厳選』(発芽させることは違法だという但し書きも忘れていないが)『郵送の際にはチケットと明記します』などという説明まで謳われているのが現状なのだ。

サイトでも説明されており、またご存じの方も多いだろうが、大麻取締法では、大麻の所持や売買は禁止されているが、種の所持や売買は禁止されていない(最近は、栽培させる目的での種の販売業者は摘発もされているが)。また、大麻の『吸引』自体を禁止しているわけでもない。例えば大麻乱用が行われているというクラブに警察が一斉摘発に入っても、本人が現物を所持していない限り、吸引の疑いが濃厚でも即逮捕することができないのだ。

以前、高校の教員だった頃、この大麻問題をめぐって悲しい事があった。私の勤務していた学校は、全国から生徒が集まってくる学校で、多くの生徒が寮生活をしていたが、冬休み明け、一人の生徒(A)が地元から大麻を寮に持ち込み、友人(B)を誘って一緒に吸引した。Bは渋りながらも、友人の誘いを断りきれなかったという話だ。当時、私は生活指導部長をしていたが、Aが大麻を持ち込んだという噂はすぐに私の耳に入り、慎重に調査を進めたのだが、子供たちのネットワークは侮れない。すぐに私の動きを察知したAは、「疑われているらしい」と残っている大麻を一緒に吸引したBに預けたのだ。その後、調査を進め、Aが大麻を寮に持ち込んだこと、A・Bが大麻を吸引したことが、本人たちの口からも明らかになった。当然、これは違法行為。見過ごすわけにはいかない。保護者に事実を話し、職員会議の末、警察に連絡する運びとなった。そして…部屋で大麻を預かっていたBだけが、警察に逮捕された。

大麻を持ちこみ、Bに吸引を勧め、所持していた大麻を半ば強引に預けたAの方が、教育的責任は重い。しかし、警察から重い手錠をかけられたのは、Aより先に私に罪を告白したBだけだった。私はその現場に立ち会いながらBとともに涙を流した。

「大麻は現物さえ持ってなければ、吸っただけなら罪にならない」「出所がばれたらみんなに迷惑がかかるから、大麻で捕まったら、街で外国人から買った、というのがルール」「自転車の盗難で警察にばれたら、駅で盗んだといったら窃盗罪でアウト。道端に落ちていたのを拾ったといえば占有離脱物横領で罪は軽くなる」等々。みな、子供たちの会話の中で出てきた話だ。

では、いったい誰がそんな情報を子供たちに授けているというのだろう?

彼らに有害な情報をもたらす発端は、他でもない、子供たちのことを一番慮っているはずの親、具体的には親の無知なのだ。

携帯電話の普及は、教育界において、その前提を覆すほどの事態を生んだ。いつの時代でも社会には様々な情報が飛び交い、その中にはとても子供には伝えられ ない有害なものも含まれている。それらを大人たちは受け止めた上で、子供たちの成長にとって有益なものを発達段階に応じて授受してきた。この営みこそ『教 育』である。今でも、その雛型は原則的に家庭教育でも学校教育でも守られているといえよう。しかし、携帯電話が子供たちにまで普及した現在、その雛型は彼 らを健全に導く絶対の方法とはなり得なくなってしまった。大人を一切介することなく、未熟な子供たちが社会情報に自由にアクセスできる。これは、人類史上 初の出来事だったと言えるだろう。

過激な性描写等が社会問題になるが、彼らは携帯電話をクリックしただけで、無修正のポルノ動画が簡単に手に入る。教育は出会い系サイトの危険性を説くが、 携帯電話をクリックすれば、少女を値踏みする大人たちの書き込みが溢れ返っている。ネットの世界では、爆弾の作り方まで教えてもらえるのだ。

そんなツールを子供に与えているのは、他でもない、親なのだ。有害情報へのアクセスをブロックするフィルタリング携帯の普及が叫ばれているが、十人中九 人、フィルタリング付携帯を与えられていても、一人が自由にアクセスできる携帯を持っていれば、有害情報はいとも簡単に共有されてしまうのだ。

そんな時代に必要な防犯。それは子供たちへの徹底した道徳教育抜きには始まらないと私は思う。少々過激な物言いになるが、そのツールを手にする前、具体的には〇歳から十歳までにしっかりと道徳を叩き込まねばならない。他でもない、未熟な彼らを守るためにだ。

戦後教育界では、価値観の押しつけはよくない、という義のない名分で、道徳教育をないがしろにしてきた。しかし、国教もなく、修身等、共通の物差しが消えて久しい日本の教育は、押し寄せる有害情報から子供たちを守ることができなくなってしまった。

罰せられるから、やってはいけない。この有りようは、必ず新たな脱法を生み出すだろう。今必要なのは、大切な人が悲しむから、人間としてやってはいけない行為だから、あなたを愛するから、だからこそ許されない、と教えることであろう。

道徳なき性教育は、子供たちにセックスの方法を教えるだけ、道徳なき情報教育は、子供たちに有害情報へのアクセスの方法を教えるだけ、道徳なき経済教育は、儲けるためには手段を選ばない、そんな青年を生み出すだけだと私は思う。

罪の重さを子供たちに教えることも大切だ。しかし、それ以上に、その罪の業の深さを、悲しみを大人たちが心から語ることが重要であると私は思う。

少年時代、私は不良少年と呼ばれ、多くの過ちを犯してしまった。そして、その度に、私は心の中で泣いた。幼き頃、育ててくれた祖父から語りかけられた私を 愛するがゆえの叱責の言葉に打ちひしがれた。そして私はやり直しを自らに誓った。罰せられたから立ち直ったのではない。祖父の道徳の教えがあったから、だ から、私は立ち直ることができたのだと思う。

防犯の道は道徳から始まる。その先で、今よりずっと若者たちの明日が幸せであるように、今後も人生を懸けて行動していく決意である。


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