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第6回
小宮 信夫

犯罪機会論で「未来の犯罪」を予測する

2008年12月17日

犯罪は予測できるか

人を不幸にする出来事といえども、それが予測できれば予防できる。つまり、危険は予測できれば回避できるのである。犯罪も同じである。犯罪も予測できれば予防できる。問題は、どのようにして予測するか、である。

日本では、「だれ」が犯罪を行おうとしているのかを見極めることによって、犯罪を予測しようとしている。そのため、地域では、不審者を探すパトロールが行われ、学校では、子どもたちに、「不審者に気をつけて」と教えている。

しかし、不審者という名の「危ない人」から、犯罪を予測することは不可能に近い。なぜなら、危ないかどうかは、「人」の姿を見ただけでは分からないからである。「人」の心の中は見えないし、「危ない人」は、できるだけ目立たないように振る舞うはずである。また、まだ犯罪を行っていない「人」を犯罪者扱いすると、人権侵害になる。さらに、子どもに不審者を発見せよと無理な要求をすると、この世は敵だらけと思わせてしまい、周りの大人を信じられない子どもを増やすことになりかねない。

このように、「不審者」に注目するやり方は、防犯効果が期待できず、しかも、副作用を起こしてしまう。したがって、この方法は、間違っていると言わざるを得ない。正しい方法は、防犯効果が期待でき、しかも、副作用を起こさないものである。それが、見ただけで分かる「危ない場所」に注目するやり方である。

犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。欧米諸国では、犯罪原因論が、犯罪者の改善更生の分野を担当し、犯罪機会論が、予防の分野を担当している。

犯罪機会論とは、犯罪の機会を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする考え方である。ここで言う犯罪の機会とは、犯罪が成功しそうな状況のことである。つまり、犯罪を行いたい者も、手当たりしだいに犯行に及ぶのではなく、犯罪が成功しそうな場合にのみ犯行に及ぶ、と考えるのである。

とすれば、犯罪者は場所を選んでくるはずである。なぜなら、場所には、犯罪が成功しそうな場所と失敗しそうな場所があるからである。犯罪が成功しそうな場所とは、目的が達成できて、しかも、捕まりそうにない場所である。そんな場所では、犯罪をしたくなるかもしれない。逆に、犯罪が失敗しそうな場所とは、目的が達成できそうにないか、あるいは、目的が達成できても捕まりそうな場所である。そんな場所では、普通は、犯罪をあきらめるだろう。 


犯罪者に好まれる場所とは

このように、犯罪者が場所を選んでくるとすれば、選ばれやすい場所を減らし、選ばれにくい場所を増やせば、犯罪は起こりにくくなるはずである。そのため、犯罪機会論では、犯罪者が選んだ場所、つまり、犯罪者が犯罪に成功しそうだと思った場所の共通点が研究されてきた。その結果、犯罪者が好む場所は、「(だれもが)入りやすく、(だれからも)見えにくい場所」であることが分かってきた。

「入りやすい場所」では、簡単に怪しまれずに標的に近づくことができ、だれにも邪魔されずに犯罪を始めることができるので、目的が達成できそうな雰囲気が漂う。また、入りやすいということは、逃げやすいということでもあるので、「入りやすい場所」では、犯行後すぐに逃げられそうで、捕まりそうな雰囲気はない。

一方、「見えにくい場所」では、だれにも気づかれないまま標的を探すことができ、邪魔されずに犯罪を完結できるので、目的が達成できそうな雰囲気が漂う。また、そこでは、犯行が目撃されにくく、警察に通報されることもなさそうなので、捕まりそうな雰囲気がない。

さらに、犯罪者が好む「入りやすく見えにくい場所」は、物理的な条件だけでなく、心理的な条件としても特徴づけられる。心理的に「入りやすく見えにくい場所」とは、乱れやほころびが感じられる場所である。そう感じさせてしまうシグナルとしては、落書き、散乱ゴミ、放置自転車、廃屋同然の空き家、伸び放題の雑草、不法投棄された家電ゴミ、公共施設の割れた窓ガラス、野ざらしの廃車、壊れたフェンス、切れた街灯、違法な路上駐車、公園の汚いトイレなどがある。

このような場所は、管理が行き届いてなく、秩序感が薄いので、犯罪者に警戒心を抱かせることができず、犯罪者であっても気軽に立ち入ることができる「入りやすい場所」である。同時に、その場所のことに無関心・無責任な人が、その周辺には多いことが推測されるので、犯罪者からすれば、犯罪を行っても見て見ぬ振りをしてもらえそうな「見えにくい場所」にもなるのである。


犯罪のパターンを読む

このように、だれもが入りやすく、だれからも見えにくい場所は、犯罪者も入りやすく、犯行が見えにくい場所なので、犯罪者に好まれる場所である。ほとんどの犯罪は、この「入りやすく見えにくい場所」で起きている。犯罪の予測や予防にとって必要なことは、この「入りやすい」「見えにくい」というキーワードを意識し、この「物差し」を使いこなせるようになることである。しかし、マスコミでさえ、キーワードの重要性に気づいていないのが現状である。このことは、2008年に、千葉県東金市の路上で、保育園児(5歳)の遺体が全裸の状態で発見された事件についても確認できる。

東金の事件について、マスコミは、「現場は人目につきやすい場所」「四方八方が見渡せる」などと報じているが、遺棄現場は、物理的にも心理的にも「見えにくい場所」であった。しかも、そこは、2007年、兵庫県加古川市で、小学2年生の女児が刺殺された場所(自宅前の路上)に驚くほどよく似ている。

東金と加古川の遺体発見現場のどちらも、真向かいには一戸建ての住宅があるが、それ以外からは、人の自然な視線が注がれることは期待できない。というのは、東金の現場は、資材置き場、公園、及び、空き地(駐車場)に囲まれ、加古川の現場も、空き地と空き家に囲まれていて、だれにも見てもらえなさそうだからである。

真向かいには住宅があるものの、道路にはカーポートが接しているため、その分、建物が後退していて、視線が注がれにくくなっている。より重要なことは、1カ所からの視線が確保されているだけでは、「見えやすい場所」にはならないということである。なぜなら、犯罪者は、同時に2カ所からの視線の有無は確認できないので、2カ所から自然な視線が注がれている場所では犯行をためらう可能性が高いが、1カ所からの視線の有無であれば容易に確認できるので、自然な視線を期待できるのが1カ所しかない場所では犯行をためらう可能性は低いからである。

このように、東金と加古川の遺体発見現場は、どちらも、物理的に「見えにくい場所」であるが、それだけでなく、そこは心理的にも「見えにくい場所」であった。というのは、東金の現場周辺にはおびただしい落書きがあり、加古川の現場周辺にはおびただしい不法投棄ゴミがあったからである。最も象徴的なのは、東金の現場の斜め向かいにある公園の側溝にも(写真1)、加古川の現場横の空き地にも(写真2)、放置自転車があったことである。

【写真1】

【写真2】

このように、事件現場を検証すると、同じような犯行パターンが繰り返されていることが分かる。したがって、この犯行パターンが読めれば、そこから類推して、犯罪者が次に選ぶ場所、つまり、犯罪発生の確率が高い場所を見抜くことができるはずである。そして、それを導くのが、「入りやすい」「見えにくい」というキーワードである。


地域安全マップづくりとは

犯罪が起こりやすい場所は、このキーワードを意識すれば、だれでも発見できる。しかし、「危ない人」に取りつかれていると、なかなか発見できない。そこで必要になるのが、「危ない場所」を探す地域安全マップづくりである。地域安全マップを作れば、だれもが、いつの間にか、人から場所へ視点が転換し、犯人目線に立って、犯罪者が好む場所が分かるようになるのである。

地域安全マップとは、犯罪が起こりやすい場所を表示した地図である。つまり、地域を歩いて、物理的・心理的な「入りやすさ」「見えにくさ」をチェックし、犯罪者が好む「入りやすく見えにくい場所」を洗い出したものが地域安全マップである。この地域安全マップは、犯罪機会論を、だれにでも実践できるようにするために、私が考案・開発した教育手法である。

地域安全マップは、子どもから高齢者まで、だれでも作製することができる。しかし、今一番求められているのは、学校の授業で取り組むことである。というのは、子どもには、防犯ブザーや護身術など、犯罪者に襲われたときの対処法しか教えてこなかったからである。防犯ブザーや護身術は、被害防止の最後の手段であり、使わないで済むのなら、それに越したことはない。とすれば、それらを使わないで済むような状況に自分の身を置く方法も教えるべきではないだろうか。それが、子どもによる地域安全マップづくりである。

子どもによる地域安全マップづくりは、防犯効果が期待でき、しかも、副作用を起こさない安全教育の手法である(写真右)。しかし、実際には、学校における地域安全マップの普及度は、依然として低い。確かに、地域安全マップという名前が付けられたマップは、多くの学校で作られてはいる。しかし、現実には、その3枚に2枚は、間違ったマップである。

作り方を間違えたマップの中で、最も問題なのが、不審者が出没した場所を表示したり、不審者への注意を呼びかけたりする「不審者マップ」である。例えば、奈良県のある地域のマップには、精神科のある病院を指し示す吹き出しの中に、「変なおじさんに気をつけよう」と書かれてあった。このようなマップは、防犯効果がないだけでなく、差別や排除を生み、人権を侵害する危険性がある。

犯罪が起きた場所を表示した「犯罪発生マップ」も、間違ったマップである。子どもがそれを作製しても、その危険予測能力は向上しない。なぜなら、犯罪発生マップは、犯罪が起きた場所を覚えさせようとする暗記型のマップにすぎないからである。覚えた犯罪発生場所に行かないことはできても、知らない場所に行ったら、もうお手上げである。また、被害に遭った子どもから、犯罪発生場所を聞き出そうとすれば、子どものトラウマ(心の傷)を深めてしまう。

このように、犯罪機会論に基づいた地域安全マップは、依然として、学校には浸透していない。実際は普及していないのに、普及しているように思われていることが、普及を遅らせる一因となっている。したがって、地域安全マップの「正しい作り方」を広く行き渡らせることが、差し迫った課題と言える。

以上述べてきたように、地域安全マップづくりは、「だれ」が犯罪を行おうとしているのかではなく、「どこ」が犯罪者に選ばれるのかを見極めることによって、犯罪を予測しようとするものである。地域安全マップづくりによって、身近に潜む危険性に気づくことができれば、それだけでも被害に遭う可能性が低くなる。つまり、地域安全マップづくりは、人々の危険予測能力を向上させる、能力開発プログラムなのである。

さらに、地域安全マップづくりがきっかけになり、場所の改善に向けて動くことができれば、地域の安全性を高めるだけでなく、住民同士のコミュニケーションを活性化し、その結びつきを強める。そうなれば、防犯を突破口にして、防災、交通安全、環境保護、介護福祉、子育て支援、保健衛生、中心市街地活性化といった様々な地域社会の課題にも、地域ぐるみで前向きに取り組めるようになる。つまり、地域安全マップづくりは、地域社会の問題解決能力を向上させる、地域再生プログラムなのでもある。

このように、地域安全マップづくりは、「物づくり」ではなく、「人づくり」であり、「街づくり」である。多くの人が協力して作り上げた地域安全マップは、子どもと地域の「未来への航海図」にもなるに違いない。

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