みんなで守ろう!地域の安全
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2年前の春、私は、地元自治会の防犯・防災担当役員を仰せつかりました。任務は、街灯・消火器の保守管理、街の防犯パトロール、独居老人宅での防犯指導、交番連絡協議会メンバーとの交通安全パトロ-ル、防災訓練の企画・主宰、地震発災時における避難所運営訓練等々です。
引っ越して来て日が浅く馴染みの人が居りませんでしたから、些か気後れはありましたが、古くからの住人・マンションに住む人・若い奥さんといった役員さん達と役割を分担して活動を開始しました。
存外大変だったのは、役員間や市役所・警察署・消防署の職員との日程調整でした。私も勤めがありますから日程のやり繰りは骨折りでしたが、防犯・防災役員の役割を果たすことによって私の言動は首尾が一貫すると考えるようになり、何とか折り合いをつけたものです。恥ずかしながら、その「首尾」とやらについてお話ししようと思います。
私は、平成14年8月に警察庁長官に任命されたのですが、当時の最大の課題は、『急増する犯罪にどう対処するか』ということでした。
我が国は、長らく、治安の良い国として世界の羨望の的でした。国民の多くがこのことを誇りにしてきたと思います。その頃の刑法犯の発生(交通事故関連の業務上過失事件を除きます)は140万件前後で、多くても160万件台。ところが、平成7年に戦後初めて170万件を超え、あれよあれよという間に200万件を記録したのです。それが平成10年のことです。
当初、増加が目立った犯罪は、少年によるひったくり、来日外国人による自動車盗や空き巣事件などでしたが、次第に、路上強盗、強制わいせつ・強姦、住宅侵入強盗などが頻発するようになったのです。そして、長官就任時には、刑法犯が300万件に達する勢いとなっており、いつ自分や家族が犯罪の被害に遭うか知れないという国民の不安は頂点に達していました。
犯罪が急増した要因は様々です。家族や地域コミュニティー・学校の変貌により人間関係が希薄化してきたこと、アジア各国との経済格差が広がって外国人の来日圧力が強まる一方で、入国管理や外国人受け入れ体制が相変わらず不備であること、バブル経済によって日本人の倫理観が揺らいできたこと、終身雇用の崩壊等によって組織・集団への帰属意識が薄れてきたこと、長期不況により雇用の不安定化が続いていること等が指摘できます。いずれにしろ、急増要因は社会の基本構造に関わるものであり、おいそれと解決できるとは考えにくい問題ばかりでした。
そこで掲げたのが「日本の治安復活」というスローガンであり、それに向けて樹立したのが「犯罪を抑止する」という政策目標でした。そして、この目標を達成するために、警察が中核となって関係機関・地方自治体・住民こぞっての全国的な「犯罪抑止運動」を展開しようと考えたのです。
警察は、早速、平成15年の当初から全国の警察を挙げて「街頭犯罪・侵入犯罪抑止総合対策」を開始しました。検挙・警戒など諸々の警察活動を犯罪抑止に一点集中することのほか、次のような措置を執りました。警察内部での利用本位に加工されていた犯罪発生情報を、自治体・町会(自治会)・住民が身近に感じられ、かつ、これらの人々が利用しやすい形で提供するように変える。中央の政府機関、都道府県知事をはじめとする地方自治体の首長、住宅建築・錠前・自動車関連等の業界団体が、自らの守備範囲の中で犯罪抑止に効果的な施策を継続的に実行していただく。外国の捜査機関との連携を抜本的に強化する等々です。総理官邸・国会議員のリーダーシップによって、その年の後半に全閣僚による犯罪対策閣僚会議が組織されたのですが、これは画期的でした。犯罪抑止対策が質・量とも飛躍的に進展したのです。
ここで、事がこのように順調に進展し得たキーについて触れておきたいと思います。犯罪抑止運動は国民運動ですから、その成否は、犯罪抑止について国民的理解が深まるかどうかにかかっていたと言ってよいのです。さて、どうすればこれを実現できるのか・・・?決め手となったのは、平素厳しい目で警察を取材する報道機関・マスコミの影響力でした。
警察が平成15年の当初から「街頭犯罪・侵入犯罪抑止総合対策」を開始したことは前述しましたが、その1か月後に、読売新聞が「治安再生」を年間テーマとして大キャンペーンをスタートさせて身近に迫る犯罪の恐怖・警察や地域住民のあり方などについて連日報道し、その他の各紙も工夫を凝らして多角的に治安問題について報じ始めたのです。
NHKは、全国各地の住民による多彩な犯罪抑止運動を紹介しましたが、これは各方面に大変なインパクトを与えました。民放各局も警察・政府・自治体や住民の活動について活発に報道しました。
空を飛ぶが如くに素早く、しかも持続的なマスコミ報道によって、犯罪抑止運動は、一気に全国的な運動へと発展していったのです。
【読売新聞2003年2月11日付朝刊社会面より抜粋】
ところで、犯罪の急増要因は先述したように社会の基本構造に関わるものでありますから、犯罪抑止運動は、全国津々浦々で地道に息長く展開しなければ効果を挙げるに至らないことは明らかです。そう思って旗を振っていた自分が、退官後、地元コミュニティーの防犯・防災担当役員となったという次第ですから、せめて任期中は犯罪抑止運動にしっかり取り組まなければ首尾は一貫しないという訳なのでした。
マスコミ、全国のミニコミュニティー、そして多くの関係者の尽力が重ねられた結果、犯罪数は、平成15年以降年々減少してきました。平成19年には、約191万件と10年ぶりに200万件を下回り、街頭犯罪や侵入犯罪はもとより凶悪犯罪も減少しました。この傾向は今年も続いています。
勿論、今なお残忍な通り魔事件や監禁事件、振り込め詐欺等が発生していて人々の不安は消え去っていませんから、治安復活・治安再生にはまだまだ遠い事は否定できません。しかし、5年前までの状況を思い起こしますと事態がかなり改善されてきたことは間違いありません。引き続き犯罪抑止運動を力強く推進していけば、我が国の治安の未来は明るいと確信します。そして、再び日本の治安の良さを誇れる日が必ず来ると予感するのです。