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ぼうはん日本

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~ ある夏の日 ~

2015年08月
販売企画調査部 佐藤大吉

バケツの水を何度もぶっ掛けられた。太陽光線が目の中に飛び込み、青い空に浮かんだ白い雲が歪んで見える――。

昭和40年代後半のこと。当時、私の通っていた中学は野球が強い学校として、そこそこ有名でした。卒業後、大阪の●●学園や奈良の●●高校へ進み、甲子園に出場した先輩も少なくない学校でした。

私は1年生からレギュラー2塁手として公式戦に出場。1年生の秋から3塁を任されるようになりました。新人戦を前にすると、先輩面した先輩(当然ですが…)たちが指導と称してグランドに頻繁にやってくるようになります。彼らは、入れ替わり立ち代りノックバットを持って、まるで受験ストレスを解消するかのように守備練習を命じ、ノックバットを振るうのです。初めは3塁手の私がその対象となります。身体の右側へ、そして左側へと、土煙を上げながらボールが飛んできます。

生年月日が少し早いという理由で「先輩風」を吹かす――。そんな人間になりたくないと思っていたので、当時の私は、立秋を過ぎてから夏休みの練習に顔を出す「先輩」たちに嫌悪を感じていました。

【ノッカー】「おいっ! 何で飛びつけへんねん」

【 私 】「あれはショートの球です」

【ノッカー】「何いうてんねん。サードがカットせなあかんやろ」

【 私 】「あんなエエ当たりは無理です。うまいショートかて逆シングルで捕るんが精一杯ちゃいますかっ! いや捕っても内野安打ですわ!」

【ノッカー】「生意気な奴や。『オレが捕れ』って言うてんねんから捕らんかいっ!」 【 私 】「サードの守備範囲にノックしてもらえませんか」

【ノッカー】「なんでもかんでも横っ飛びで捕りにいく根性がのうてどないすんねやっ!」

【 私 】「守備範囲にうまく打たれへんから、アンタはずっと補欠やったんや!」

私の言葉が、ノッカーの心に太い釘を打ち込みます。もう、喧嘩と同じようなものです。 グランドの周囲で枝を伸ばす松の木々では、アブラ蝉が「ジーィジーィ」と鳴いています。クマ蝉もその声が耳につくほど騒がしく鳴いています。アブラ蝉の『アルト』とクマ蝉の『ソプラノ』の合唱が始まるのは、だいたい午前10時頃でしょうか――。

ノッカーと私との掛け合いに、あたかも〈合いの手〉を打つかのように「シャーシャーシャーッ」と、それはそれは騒がしく鳴くクマ蝉の声が、私の脳天を突き抜けます。そして、暑さと相まって先輩たちの吹かす「先輩風」が、私をムッとした心持ちにさせ、イライラは頂点へと達しようとしています。

【 私 】「さあ来いっ!」

グラブの先を地面に着け、踵を上げてつま先に体重をかけ、右足を一歩前へ踏み出します。すると、火の出るような勢いでボールが向かってきます。鋭いノックの雨は、夕立のように降り始めます。身体に当たれば、ビリビリっと感電したかのように、痺れに似た痛みが全身に走ります。

続いて、土色に変色したボールは三遊間方向へと、私を揺さぶり始めます。横っ飛びしてもグラブが届くか届かないかというところに、ノッカーはスピードに緩急をつけてボールを打ちます。ボテボテのゴロはショート前や、ピッチャーとの間にバウンド高く転がされます。地を這うような猛烈なゴロは身体の正面へと打ち込まれます。その日は、正面に放たれたボールのうちの1球がイレギュラーバウンドとなり、グラブ対応が間に合わず、私のみぞおちを強く叩きました。「うっ」という〈声にならない声〉とともに、私の身体は鉛を手足に装着されたかのように急に動かなくなります。さあ、ここからが本当の守備練習の始まりです。

【ノッカー】「おらおらっ! もうバテたんかいっ!」

左右、正面と散らして打っていたボールが、今度は私の身体に向け、集中的に向かってくるようになります。みぞおちにKOパンチを受け、息が止まりそうになったままの状態で、私はボールを捕球してはライン沿いで球拾いしているチームメイトにトスします。なぜなら、ノッカーが矢継ぎ早にボールを打ってくるからです。その動きから目を切ることはケガすることを意味します。情け容赦なく、激しく強いボールが私を襲います。

グランドには陽炎が立ち、私の息はますます途切れ途切れに――。意識は朦朧とし、立っているのが精一杯です。ノックはまだ続きます。チョコレート色に日焼けした私の顔は見る見るうちに生気を失い、ドス黒くなっていきます。ノックを受けていられるのが不思議なくらいです。

誰かが大声で叫びます。「ラストォー!」――。その声は、どこか遠くから聴こえるような気がします。実際はノッカーの横に立っているキャッチャーが声を掛けてくれているのですが――。

この「ラスト」の声を聞いたあと、意地の悪いボールをノッカーは打ってきます。捕れるまでノックは終わりません。私は大きく深呼吸をして目を見開き、ノッカーを睨みつけます。

【 私 】「絶対、捕ったるっ!」

一瞬、目をつぶった瞼に黒い影が重なります。ボールが右目付近に当たり、鈍い音がしました。

【 私 】「クッソォー!」

自力で立ち上がろうとしますが、軽い脳震盪を起しているのか、しっかりと立つことができません。それでも身体めがけてボールは飛んできます。右目と鼻柱が腫れ上がり、瞼の裏側ではキラキラと小さな流星が飛び交っています。そのうち、埃の立ち込めたような匂いが鼻の中に広がり始めました。汗を拭くため顔を擦り付けるユニホームの右肩口に、赤色の滲みが大きく広がってきたことを、球拾いの同級生が教えてくれます。真っ白なはずの練習用ユニホームは薄汚れて黄白色になり、そこにこびり付いた鮮血は赤色から茶褐色に変色し始めます。「鼻血が出とる」――。埃の匂いと思っていたのは、実は血の匂いだったのです。

「シューッ」と空気を切り裂く音が耳に聞こえ、私は咄嗟にグラブを顔の前に差し出しました。「パシッ」と乾いた音がし、一瞬静まり返ったグランドにその音が響きます。手のひらがビリビリと痺れました。

【 私 】「終わりやっ!」

苦しそうに大声で叫ぶと、私は尻からグランドに大の字に倒れました。「冷たい! エエ気持ちやあ」と、私は心の中で叫びました。でも実際には、もう叫ぶ力も残っていません。

バケツの水を何度もぶっ掛けられ、正気を取り戻す途中、「生きてる」との実感が沸々と湧き出てきます。

腫れ上がった右目をつぶったまま、左目を少し開け、私は空を見上げました。太陽の強い光線が目の中に飛び込み、青空に浮かぶ白い雲がなぜか眩しく感じられます。瞬きするたび、同じ形であるはずの雲は形を変えて私の瞳に映ります。

夏が大好きだった野球少年には、強い太陽光も、青空も、真白な雲も、すべてが自分の望みを叶えてくれるツールであるような気がしました。

そう、ある夏の日の出来事――です。

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