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ぼうはん日本

全国読売防犯協力会
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新聞配達の少年時代を想う!

2009年09月
執筆 髙嶋光生 全国読売防犯協力会参与

 

朝の4時30分、誰が起こすわけではない。目覚ましがあるわけではない。あるとすれば頭の中だろう。家族の者が起きないようにそっと自転車で福岡県久留米市の高良山の麓の新聞販売店に行く。小学校6年生から始めた新聞配達。最初は夕刊のみであった。中学校に行くようになり朝刊に代えた。理由は、朝刊が夕刊より200円高く1000円の配達料がもらえたからだ。当時の1000円が我が家の家計にとって大変ありがたかった(と思う)。当時母が月5000円稼いでいた。タオル工場でのミシンがけで稼ぐお金である。家族は、両親と兄弟4人の合計6人、私は長男である。6000円で6人が1か月生活をしていた。ここまで書くと、稼ぎ手が1人足りないのではと気づく。父親の稼ぎがない。父の稼ぎは、競輪、パチンコなどの遊興費で消えており、生活費まで回ってこない。新聞配達は、3年余り続いた。1960年(昭和35年)ごろの話である。

あれから50年が過ぎ、母も一昨年の冬に他界(父は肝臓癌で52歳で病死)した。そして私も今年、警察官として37年間勤務した福岡県警を卒業し、読売新聞西部本社に就職し、警察と読売新聞と地域を結びつける防犯活動等に携わることとなった。

私が、小中学生で新聞配達をしていたころ、それをジッと見ていた男がいた。いとこの「古澤敏雄」(あだ名は「トシ坊」)である。彼が小学生の低学年の時、 自転車の後ろに乗せて新聞販売店に連れて行った記憶がよみがえる。私が彼に影響を与えていたことを先日東京に行った際、久しぶりに会って話しをするうちに知った。彼は、長崎県の佐世保市で小学校の高学年と中高校時代を過ごし、東京に出て読売新聞奨学生として働き、大学を卒業後も新聞販売の仕事に携わってい たのである。私は、彼が読売新聞にいることは知っていたが、東京のどこで働いているのか分からなかった。西部本社を通じて探してもらったところ、東京都町田市の「YC町田中央」に居ることがわかった。そして、彼が読売新聞に携わるキッカケを初めて聞かされた。なんと私の新聞配達の姿を見ていたというのである。

彼は一度、東京・巣鴨の所長までなったが病気で所長を辞め、病気が回復したのち再度、町田で販売の仕事に従事していたのである。彼は別れ際に「光生ちゃん。また所長を目指すけん」と言った。

前半は小生のことにふれ、後半にいとこのことに触れた。どちらも共通することは、新聞配達が生活の糧であったことである。新聞配達は、雨が降ろうが、雪が降ろうが絶対に一日も休まずやらねばならない辛い仕事である。しかし、読者の温かい心に触れることも多々あった。新聞配達で稼いだお金の有難さ、勤勉さ、 責任感、人情は、以後の警察人生でも大いに役にたった。

新聞業界を取巻く環境は、非常に厳しい。しかし「トシ坊-ガンバレ」とエールを送りたい。私の好きなことばを送る。「この道より我を生かす道なし、この道を行く」

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