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ぼうはん日本

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「東日本大震災」の大津波に遭遇した関東の駐在所

2015年05月取材

【はじめに】
■千葉県旭市って?
――旭市は千葉県の北東部に位置する街で、平成17年(2005年)7月に旭市、海上町、飯岡町、干潟町が合併してできました。南部は九十九里浜、北部には北総台地が広がり、気候は温暖、年間の平均気温は15℃だそうです。気候をいかした米や野菜、果物の産地として農業が盛んな一方、房総半島沖で親潮と黒潮がぶつかることから豊富な海の幸をもたらせる漁業も盛んです。旭市の人口は6万8千人。千葉県の中核都市の一つといえます。

室町幕府滅亡後、当地を治め領民に慕われた戦国武将の木曽義昌を偲び歌人・野々口隆正(津和野藩士)が詠った「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけん」に、旭市の地名の由来があるそうです。

■津波被害に遭遇 矢指駐在所閉鎖

――平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災による津波は千葉県旭市にも襲いかかり、死者14人、行方不明者2人の被害を出しています。

関東圏外に住んでいる人たちは、千葉県に津波被害があったという事実を案外知りません。死者、不明者のほかにも建物全壊336棟、建物半壊931棟、床上浸水675棟など、同市は大変な被害に遭遇しています。矢指ケ浦海岸の近くにあった旧矢指駐在所も津波により、再建不能な状態となったことで閉鎖を余儀なくされています。

■矢指駐在所が新設される

――被災してから1年7か月が経った平成24年(2012年)10月17日に、今の矢指駐在所が新設されました。場所は、旧駐在所から1キロほど内陸に入ったといいます。新駐在所の復活は、きっと住民に勇気をもたらす「グッドニュース」だったに違いありません。

 


 

【取材に向かう】

Y防協取材班は、4月24日に矢指駐在所を訪問しました。

取材班の1人は平成23年(2011年)当時、中部支社(名古屋)勤務でした。それでも3・11の時は長時間の横揺れ(震度4)があり、「只事ではない」と感じました。阪神淡路大震災時に名古屋で経験した長い揺れが脳裏を過ぎっていたからです。スイッチをつけたテレビ画面には、巨大な津波が暴れる様子が映し出されていました。

旭市駅に到着するまでの約90分の間、津波被害の映像が頭の中で繰り返し流れたそうですが、これから向かおうとしている千葉県旭市が津波被害に遭ったことを、彼は知らなかったのです。

 


 

私たち取材班が駐在所を訪れると、宮崎真明巡査(28)が出迎えてくれました。駐在所が再開されて2年半。宮崎巡査は、新しい駐在所の「2代目駐在さん」です。

■矢指駐在所に赴任されたのはいつですか?

――1年前(平成26年4月)に赴任しました。それまでは空港警備隊勤務でした。

■勤務状況をお教えください。

――午前8時30分から午後5時15分が通常勤務の時間となりますが、実際上は24時間いつでも出動できる態勢で仕事に臨んでいます。

■駐在所の正面には小学校がありますが、学童の通学時間を考えれば、早い時間から「まちの駐在さん」としてがんばっているということですね。

――そうですね。平成24年の10月、この場所に駐在所ができたのですが、立地が小学校の前ですから、子どもたちが通学してくる時間(7:00~8:00)には横断歩道に立っていることが多いですね。「顔を覚えてもらうこと」=「信用を得ること」ですからね。

■矢指駐在所の管轄エリアは変わったのですか(駐在所が移転したことで)?

――いいえ、変更はなく同じエリアを担当しています。このあたりは夏になると海水浴客が多く、また、地元の夏祭りも盛大に行われますので、そうした警備に従事することなど、業務内容は以前と何ら変わりはありません。

■矢指駐在所の特色は? また地域の人々とはどのように接していますか?

――小学校の前に駐在所がありますので、学校の課外授業というのでしょうか「社会科見学」として駐在所の仕事を小学生たちが見学にやってきます。壁に貼ってあるのは、そのお礼の気持ちが寄せ書きされたものです。「駐在さん」「おまわりさん」といって慕ってくれるよう見守り時にも声を掛けるようにして、子どもたちや住民の方とコミュニケーションを図るよう気をつけています。

一方で、地域の皆さんには防犯意識を高めてもらう意味で手作りの広報紙を作成し、回覧して読んでもらうようお願いしています。

駐在所の中でお話しをしていておわかりになると思いますが、「平和で静かな町」がこのエリアです。事件が非常に少なく、着任後、凶悪事件は1件もありません。

■最後に、警察官としての夢をお聞かせください。

――私は中学生の頃に漠然と「警察官になりたい」と考えたのですが、大学生のときにそれが具体化し、そして警察官を目指しました。動機は、「悪い奴を捕まえ、治安を守るんだ」という強い思いからです。将来は「刑事になりたい」と思っています。

 


 

宮崎巡査は妻子と3人で矢指駐在所に住んでいます。
取材中にも、元気な声が奥の部屋から聞こえてきます。「おいくつ」と宮崎巡査に訊いたところ、「1歳の男の子」と答えが返ってきました。ちょうど、人見知り(特に男の人)をする年頃だそうで、かわいい声の主にはお会いできませんでした。
矢指駐在所の受け持ちエリアの人口は約4,800人、世帯は1,900だそうです。ご多分にもれず「少子高齢が進んでいる」そうです。管轄エリアのお宅訪問も、高齢者世帯を中心にまわっていると、宮崎巡査は教えてくれました。日本晴れの空の下、駐在所前で写真に納まったどこにでもいる28歳の成年「宮崎巡査」の正義感が、この町の安心・安全を守っているんだな――と私たちは意を強く持ちました。

 


 

【追記】

駐在所取材の後、市内の津波被害に遭遇した町並みを見て回り、最後に飯岡地区にある刑部岬(ぎょうぶみさき)を訪ねました。天気が良ければ、富士山や筑波山もこの岬から見えるといいます。

【写真は、刑部岬(ぎょうぶみさき)から見た飯岡・旭方面】

あの2011年3月11日、「津波が来るぞ」と、多くの人たちが刑部岬の高台に避難したそうです。津波は第一波、第二波、第三波とやってきたそうで、特に地震発生約2時間後の17時20分頃に襲来した第三波によって海岸地区が大きな被害を受けたそうです。第二波が小さかったためチリ地震による津波を経験していた人たちは、「第三波は来ない」と判断して家に戻ったため、被害に遭遇してしまったようです。

東京の隣県に、東日本大震災の津波被災地があること、そして、懸命に復興に立ち向かっている人たちのいることを、私たち取材班は決して忘れません。そんな気持ちを新たにした「千葉県旭警察署・矢指駐在所と旭市街地」の取材でした。

 

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